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更新日:2018年11月28日

「彼についていったら何か楽しいことあるかな、っていうのはあるかもしれない」北茨城地域おこし協力隊・アーティスト「檻之汰鷲」石渡のりおさん&ちふみさん【後編】/連載・夫婦でつくるケンポク暮らし #02

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夫婦でつくるケンポク暮らし

どこの場所に住もうが、ひとり暮らしは借りぐらしといっていい。それはもっといえば旅の途中のようなものだ。どこにでも住む自由があるということは、いま住んでいる場所に住み続ける必然性もないということでもある。だからこそ、大切なひとと出会った場所や、大切なひとと見つけた場所には意味があると思う。夫婦としてその場所で生きていくとき、そこはもうひとつの故郷になる。連載「夫婦でつくるケンポク暮らし」は、茨城県北に住む、アートやものづくりなどクリエイティブにかかわる夫婦の話を聞きに行くインタビュー集だ。彼らは作品をつくりながら、同時にこの場所で夫婦の暮らしの物語を紡いでいる。一緒にいるパートナーがどんなひとか、この場所がどんな場所なのか、ということは、できあがる作品にどのように関係しているのだろうか。数回の連載を通して探っていきたい。

(編集部)

 

安定した暮らしがないことにこっそり泣くこともあった

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人生の節目で大きな決断を下すのはのりおさんだと言う。でもその中で、ちふみさんが直感で断ることも少なくないのだそうだ。ちふみさんは常に心の中で不安と闘っていた。田舎暮らしに憧れているわけでもない、できれば安定した暮らしがしたい、それでものりおさんと共に生きる道を選んできた。

ちふみさん「楽しいこともいっぱいあるけど、やっぱりお金の面とか、これからどうなっちゃうのとか、そういうのはやっぱり不安に思うこともある。会社勤めしてた時期が長かったから、安定した収入に一回どっぷり浸かっちゃってるし。それが無いってことにすごい不安で、こっそり泣くこともありましたね。でも、ちょっとずつ、何とか自分で行動してやってけばいいんだなって思えるようになって、今はそういうこともありません。
わたしは別に、田舎暮らしに憧れてないし、地域活性もわかりません。だけどいつの間にか放浪生活で、なぜか貧乏暮らしみたいな感じになっていた。楽しいんだけど、自らそういうビジョンがあって田舎暮らしのナチュラリストになろうとかはまったく思ってないんです。でも、のりおくんについていったら何か楽しいことあるかな、っていうのはあるかも。あと、のりおくんが楽しそうにやってるのはやっぱり見ててうれしいし、嫌なことをしていると嫌だって表情になっている。うちのお母さんはよくのりおくんのことを「あの歳になってあんなに無邪気で楽しそうでいいよね〜」っていつも話をよくしてる(笑)。田舎で暮らしてて、なんでいままでそれを知らなかったの、っていうことがよくある」

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のりおさん「そう、ぼくは東京生まれだから、田舎のこと全然知らなくて。知らないにもほどがある。ちふは田舎で育ってるから僕よりも全然知ってる。例えば野草1つにしても、食べられるものだとか名前とか、ほんとに何にも知らないから。たんぽぽぐらいしか知らないんです(笑)」

ちふみさん「ほんと最初、キャベツとレタスと白菜わからなかったから。」

のりおさん「わかるよ!(笑)」

安定のために働くのは避けたかった

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のりおさんは生まれも育ちも東京。その妻・ちふみさんも就職を機に上京し、10年以上のあいだ東京で生活していた。そんなふたりが、今では360度を緑に囲まれた場所で暮らしをしている。
大きな転機となったのは2011年3月の東日本大震災。それまで何気なく送っていた生活に疑問や矛盾を抱き始めたのりおさんは、自分たちの暮らし方を見つめ直すために、仕事を辞めて海外へ旅に出ることを決意する。2013年6月より、アーティスト・イン・レジデンスを利用してスペイン、イタリア、ザンビア、エジプト、モロッコの5カ国に滞在し、作品を制作しながらそれぞれの土地の人々の暮らしや生き方を学んだ。

のりおさん「世界の人たちの生き方を見て、東京に戻ってきて思ったのは、安定した暮らしって何なのかってこと。日本では安定して生活したほうがいいっていう価値観が当たり前にあって、一方で不安定な生活はダメだ、ちゃんとしなさい、って言われるわけです。国によるけど外国ではそもそも安定してないから、ちゃんと生きなければっていう圧力がない。みんなそれぞれ、強引に日々を生きていました。
日本に帰ってきて、好きなことのために生きていこうと思うと生活の安定が必要になる、でも、安定のためにはお金が必要。そのためには、たくさん働かなければいけなくない...。そうやって考えていくと安定のためにずーっと働き続けるっていうサイクルに入っていっちゃうから。それは避けたいなと思っていました」

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生きるには多かれ少なかれお金がかかる。そこで考えたのが、「家賃を安くする」ことだった。東京の家賃は高い。世界の暮らしを見てきたふたりにとって、東京に住むことは重要なことではなくなっていた。愛知県の空き家を紹介してもらい、入居者が見つかるまで住みながら改修し、改修技術を身につけていった。その後も三重県、岐阜県と、同じように期限を決めて空き家に住みながら改修を行う生活を繰り返す。

のりおさん「岐阜の中津川にいた時に、北茨城市で芸術家を募集してるよ、そんなに地方を放浪してるんだったら、こういうところで活動した方がいいんじゃないのって教えてくれたひとがいたんです。
それで面接のために北茨城にいくことになったんですが、交通費を浮かせるために高速を使わずに下道でずっと北上していきました。そうするとまちのグラデーションが見えて、そこがどんな場所かっていうのがすごい分かるんです。国道6号を上がってきて北茨城に入って、最初に見たのが二ツ島。面白いと思って、もしここに来るんだったらこれを作品にしたいよねって話をしていたのを覚えている」

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2017年4月より、のりおさんが北茨城市地域おこし協力隊に就任したことを機に、夫婦で北茨城に移住。同年10月より、北茨城市楊枝方にある古民家の改修を夫婦で行い、今年3月に開催された桃源郷芸術祭では、ギャラリー兼アトリエ「ARIGATEE」として開放させた。現在は絵を描いたりコラージュ作品を制作するためのアトリエとして使用しながら、来年の桃源郷芸術祭に向けた準備を進めている。

のりおさん「おぼろげなヴィジョンしか持っていなかった僕らにとっては、海外を旅して東京に帰ってきて、空き家を直して生活コストを下げることでアーティストとして活動している今の生活は、結果として、かなり良かったんと思っています。だってこんな広い場所があって、好きなだけ作品をつくれる。とてもいい環境です。僕たちがここに来たときは、北茨城市に「芸術によるまちづくり」というコンセプトはあったけど、まだ何も始まっていないような感じでした。一年半経ってそういう動きが結構本格化し始めています。あと県北としての取り組みも始まっているし、本気で芸術でまちづくりをする気なんだなっていう実感はありますね」

北茨城には岡倉天心が五浦に日本美術院を創設して以来、芸術の伝統は脈々と受け継がれている。一方、石渡さん夫婦が北茨城にやってきたことでこの地に新しい潮流が生まれつつある。

アーティストというと、ふつうは少しとっつきづらさを感じるものだ。しかし、石渡さん夫婦のもとにはしょっちゅう地元のひとが訪ねてくる。のりおさん、ちふみさん、それぞれの人柄の良さもあるだろう。でも、なにより、彼らが夫婦で、“ふたり”であることが、彼らと接するときの敷居を下げていると思う

「生活芸術」と彼らが呼んでいることからわかるように、彼らの作品づくりは生活とともにある。彼らはいつも地元のひととの付き合いを楽しんでいる。そこで交わされる会話もまた、彼らの「生活芸術」にとっては重要なインスピレーションになるのだろう。

(了)

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